小さな衝動
お誕生日である。
夫とのんびりしよかなと考えてお休みとっていたのだが、なんと夫に泊まりの出張が入り、1人で過ごすことに。さあどうしよかな。といってもこれがデフォルト。何でもやっていい、何でもやれる、となった時。なるべくやりたい事だけするように気をつける。やりたいようなふりをしてやらなあかんことをやらないように。
おひとりさまは大好きなので、ぷらぷら歩いて、声を出したり歌ったり、お酒を呑んだりして満足した。(久しぶりに声を出すの、怖くもあったけどやってみて良かった!のどを開くのが前よりできていたかも。上にも下にも?響いていた。楽に声を出せた!リンクレイターVWのおかげかな?2月のレッスンも楽しみだ!いつでも使える稽古場欲しいなあ)美術館に行けたらよかった、体のメンテナンスも予約しとけばよかった、などと思うけれど、今日はこれで良かった。先日の暇な人になる決意を意識して過ごしている。意識していないと、ちょっと役に立ちそうなことをしたくなったり、実はそんなにやりたくないのに、やったら良さそうなことを空き時間に入れそうになる。なのでなるべくぽかーんとして過ごしている。もしくは、ハウツー本やビジネス書でなく、小説をずっと読んでいる。こうして、自分の心と体を遊ばせておくと、やっとその向こうから小さな衝動があらわれる。チラッと見え隠れするくらいだけれど、少しずつ見えてくる。絵を描いてみたい、ピアノを弾きたい、ギターを奏でたい、歌を書きたい、台詞を言いたい、いろいろ出てきたらちゃんとつかまえて、それこそ時間をとってやる。その小さな声を探すための毎日。それを続けていくための毎日。
フィッシュ&チップスを愛してるんです。
暇な人になる
年末年始寝込んだせいで、
まだお仕事始めをしておらず、社会の他人の影響がうっすらである今のうちに覚え書き。
今年は、なるべく予定を入れずに暇な人になる。そして、やらなあかんことではなく、やりたいと思うことだけをやる。注意深く嗅ぎ分けて。
(いま嗅覚がほぼなくなっているので、私の愛しい五感については日々その大事さを感じているところです。身を守るためのセンサーがひとつ失われたことへの不安も感じるし、香り高いコーヒーや紅茶の香り、ワインの香り、大好きなアロマや香水の香り、懐かしい人や場所の香り…なんと嗅覚から多くのものを得ていることか!私たちの体への畏敬の念は増すばかりです。体に関するお仕事がしたい!)
暇な人になりたい理由は、自分ととことん付き合うため。やはり私は自分にしか興味がない。私に利する人にしかたぶん興味がない。そこまで余裕がない。自分ともっと仲良くなりたくて、自分を大事にして自分の声をもっと聴いてそれを外に出してあげたくて切羽詰まっている。なのでその時間を置いておきたい。息子が受験生というのもあるけど、主な理由はそれ。私は自分勝手だ、好きなことばかりしている、と言われてきて自覚もあって、そんな自分はダメだなあ、と思ってきた。だから家族のお世話や職場で周りの人たちのことをもっと考えなくちゃ、やらなくちゃと思って自分を責めてきた。できているのかはさておきだ。それは自分の基準もとい自分の思う他人、親、の基準では足りないレベル。しかーし、そうしたら自分のお世話が全くできてなかったことに気付いた。わたしが私を生きること以外に、私がやりたいことはあるだろうか。そのために生まれてきたのでしょ?それができてないから、私はまだまだ死ねないし、死にたくないし、悔しいし、怒っているんだ。私はもう、わたしと一緒にいる喜びだけで生きていく。どうなるのかわからないけど、それしかやることはない。そして、その時に横を向いたりしたら、まだ私は与えてもらえそうな、他人から見て自分に相応しそうな役割を探してしまう。だから見ない。見るのは自分だけ。何度でも何度でも振り返って見つめるのは自分だけ。人の言うことは聞かない笑。私はもともとオモロイ人。純粋でオカシイ奴のはず。人より反応が速い。天邪鬼でみんなが好きなモノには興味がないふりをする。頭で考えるのが嫌い。体の感覚を受け取って外に出す。言葉も大好きだけど、言葉にならないものも大好き。今年はとことん自分の相手をする。
1月、妖精のブーケ。
いつもお花みたいでいたいね。
あなたを罰しようとする人などいない
久しぶりに湯舟につかっていたら、
あたたかいお湯の中で
からだから浮かんできた言葉。
あなたを罰しようとする人など誰もいない。
ただあなたがそれをおそれていただけ。
あなたを罰しようとする人など誰もいない。
ただあなたがそれにとらわれていただけ。
あなたを罰しようとする人など誰もいない。
ただあなただけがいつも鞭を振り上げていた。
なんどもなんども繰り返し
簡単には消えはしないけれど
そのたびに気づく。
あなたを罰しようとする人など誰もいない。
それはこの世界にあなただけ。
あなたを罰しようとする人などもういない。
お母さんは心配性
『でも、どれほど美人でスマートで若々しく見えようと、お母さんはお母さんだ。そしてお母さんというものは心配性なのだ。』
(宮部みゆき作 「ソロモンの偽証」より)
母に心配される子の立場でも、
子を心配してしまう母の立場でも、
どちらに自分を置いてみても
それがカッコ悪く感じられて嫌だった。
学校から電話があった時。
進路について悩んだとき。
友人関係に何かあった時。
知らない顔を知ったとき。
もっとお互いに信頼があれば?
理解が深まれば?
コミュニケーションが増えれば?
余計な心配はせずに、スマートに落ち着いていられるの?
そうじゃない。
お母さんは心配性。
根本的に、そうなのだ。
それでいいのだ。
スマートに対処できないオロオロする自分。
どーんと構えていられない小さな自分。
そんな自分を責めて、何とかならないかと思っていたけれど、そのままでいいのだ。
それも大切な、私だけの体験なのだ。
一見ネガティブな感情を避けたがる癖。
どのような感情も、大事な自分の一部なのだ。
2022-12-31
出会って下さった方々、
今年一年もありがとうございました。
なんと体調を崩して寝込む年末年始となってしまった。
「お正月は何もしないでずっと寝ていたい…」と思っていたのでまさにそれが叶ったわけですが。
最近は思ったことが手段関係なく叶っているのだと気づくことが増えたので今回の件もそうなのだろう。
今年はエネルギーが動いた年だったので振り返り。
・主催するオンラインの「とーち」を1年続けることができた。
・Body tuning®️との出会い。TT学び中。体への認識の深まりと、表現への思い。
・須王フローラさんとの出会い。本講座受けて良かった!
・浜ちゃん先生のエネルギー講座を受講。少しずつエネルギーについて学び中。
・AUWAさんとの出会い。継続コンサル中。
・本物のジュエリーとの出会い。
・リンクレイターヴォイスのプライベートレッスンも定期的に受けさせてもらっている。
・東京の本社へ出張。ありがたい、嬉しい。
生き物として、強くて、美しくなりたい。
そんなわたしから出る音とはどんな音だろう。
やっと、感情を叩きつけるのではない表現ができるのではないか?
来年こそアウトプットをもっと増やしたい。
やりたいことにシンプルに進みたい。
ついにマキコレワインデビュー!
美味しかったよ…体が喜んでおりました。
relax&rhythm
東京からの帰りー。
Body Tuningのtraining、
2つ目の「動くmodule」3日間が終わり。
ご一緒させていただいたメンバーさんのお一人が今回めでたく卒業、かんぱーい!
ってところで失礼しなきゃならない時間になり。
品川で呑んだジントニックが美味しかった。
時間なくてfoodのみ急遽takeoutにしてもらって…店員さんも優しかった。
今回、レッスンの中で珍しく誘導の実践があったのです。いつも声のオンラインWS「とーち」でやっている誘導をレベルアップできそうなアドバイスをいただくことができました。
「声が心地良い」「リラックスして寝てしまう」というのがワークしていてよく言われる感想で、「リラックスは良いけど、寝られちゃうと誘導しているワークができなくなっちゃう、オンラインなので相手の様子もわからないし、どうすればいいのかなあ」と思っていたのです。
今日やった誘導でも似たようなことが起きて。
やっぱりリズム!
リズムがないと相手もどうしていいかわからなくなったり、退屈して眠くなっちゃう。
なるほど、同調するだけでなく、相手が動きやすいようにリズムを作り、その中で指示を出す。
できないことをやるのはしんどいけど、そこには宝の山が眠っていたりする。
Body tuningのトレーナー、先生であるあやさんは、その人のちょっとできそうな、できなさそうな、challengeのラインを見極めるのが本当に上手くて、
いつものグループレッスンでも、個々人の課題はそれぞれ違うから、そこをうまーくすくいとって、小さなハードルを与えてくれる。
それで私たちは迷子にならずに進んでゆける。
指導者としての学びもたくさん…
リズムを作る。
これはどの場面でも大事ですよね。
対お客さま、上司、部下、いろんな立場で人と話す時。自分の意見を聞いてもらいたい時。自分の提案を受け入れてもらいたい時。
このblogでも…
リズム、意識して過ごします。
チャレンジ中の足。
役割をほどく
久々の新幹線。
行き先がどこであれ、乗り物で遠くへ行きたい私の欲が、ああ、いま、じわじわと満たされてるぅぅ…
家族から離れることは寂しい。自宅を出て10分ほどたった電車の中で、試合に向かう中学生をみて早くも息子を恋しく思うほどなので、自分でも笑ってしまう。
ただ遠くへ行くことが好きなのは、火星射手座のせいもあるだろうけど、日常を過ごす場所から離れることで本来の自分に戻るという点が一番大きい気がする。
家庭の中の、職場での、あらゆる人間関係の中での役割には期待が見え隠れする。
責務を果たす、という言葉で自分と相手を縛りがちになる場面が多くて息苦しくなる。
特に自分にはその傾向が強く、役割なくそこにただ居ることがしづらいほどだった。
役割を果たしていくことで円滑な社会生活が営めている面もあるので否定はできないけれど、役割への期待を外すことができれば随分平和になるのではないか…と感じてしまう。
だいたいみんな、自分が勝手にこしらえた期待にむかって腹を立てたり、かなしくなったりしているものだから。
もちろん自分ももっと安心してのびのびと、そこにただ在れるようになるだろう。
役に立たないからと他人を自分を責めることも減るだろう。
今いる場所から遠くへ行く事は、役割を解く装置。わたしにとってはじぶんを見つめる必要な時間。
昨日の夕暮れ。不思議な空。