お母さんは心配性
『でも、どれほど美人でスマートで若々しく見えようと、お母さんはお母さんだ。そしてお母さんというものは心配性なのだ。』
(宮部みゆき作 「ソロモンの偽証」より)
母に心配される子の立場でも、
子を心配してしまう母の立場でも、
どちらに自分を置いてみても
それがカッコ悪く感じられて嫌だった。
学校から電話があった時。
進路について悩んだとき。
友人関係に何かあった時。
知らない顔を知ったとき。
もっとお互いに信頼があれば?
理解が深まれば?
コミュニケーションが増えれば?
余計な心配はせずに、スマートに落ち着いていられるの?
そうじゃない。
お母さんは心配性。
根本的に、そうなのだ。
それでいいのだ。
スマートに対処できないオロオロする自分。
どーんと構えていられない小さな自分。
そんな自分を責めて、何とかならないかと思っていたけれど、そのままでいいのだ。
それも大切な、私だけの体験なのだ。
一見ネガティブな感情を避けたがる癖。
どのような感情も、大事な自分の一部なのだ。