チェイサーに鮮血を

https://lit.link/mamio 身体と心はつながっている♡身体を解放して自分自身を存分に生きる♡旅の途中…歌う、演じる、語る

変化

今朝は風が強いくもり空だったけれど、

お昼になると気持ちよく晴れた。

用事を済ましがてらお散歩。

明るく陽がさす空に思わず笑顔になる。

早くも2月後半で、予想通りに忙しくパワーの要る毎日だ。

どこか今までとは違う。

自分に対するごまかしがより効かなくなってきた。そして繊細なものが必要だ。

心からのものが必要だ。

それを感じる。

今までと同じやり方をしたくないし、できない。

 

2月前半は頭がいっぱいで、タスクのことばかり考えていた。

そうすると焦りが出るし、かえってうまくいかない。ひとりになると涙が出てきて、これではいけないと思った。

考えても考えなくても、同じようにすぎてゆく。

これからは、自分が過ごしたい時間をもっと増やすと決めたのではなかったか。

死ぬまでやっていたいことで埋め尽くすと決めたのではなかったか。

そちらを向いて進んでいこうと決めた。

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まなゆい

まなゆいセッションしてもらって感じたこと。

 

あたしはほんとーにあたしのことが大好きなんだ!!

知ってたけど。

他の誰よりも大事なんだ。

 

だけどそれをヨシとしてなかった。

 

誰よりもあたしはあたしの味方で、あたしの親みたいなもんなんだ。

可愛くて愛しくて仕方ないんだ。

 

でもそうじゃないフリをしてた。

 

その方が面白いから。

より強く強く感じられるから。

拗ねてなだめてもらってやっと落ち着く子どもみたいに。

揺れて振り回される方が楽しかったから。

 

 

自分一番大好きなんてアカンと思っていた。

お母さんみたいに、ほかの誰かのために自分を尽くすことが当たり前で、

それができない自分は、わがままで欲張りで、

ダメなんだと思っていた。

どちらかしかないとも思っていた。

どっちもあるなんて想像外だった。

 

ぜんぶ、いいよ。

まっすぐな、のぞみを知ろう。

 

どんどん、あれもこれも、ヨシとする世界へ。

否定遊びはもういいかな。

そんなことしなくても、もうこわくない。

急な坂道を、ブレーキかけないで

ずーっと下っていく。

いちいち心配するのがスリルを感じて楽しかったんだな。

もう、頬にあたる風を楽しむだけでいい。

 

なくしても壊しても

めったに
なくしたり壊したりしない自分だけど


お守り代わりのトルマリンのピアス
片方なくしてしまった
セカンドピアスで大事にしてたのも

 

 

そして今日は大好きなお皿が割れた
お仕事に行ってる間に

 

使おうと棚から取り出したら
1枚足りない あれ?
その時にやっと気づいた
自分でもびっくりするほど取り乱した

 

これはかなり珍しい…


悲しかった
悲しかったけど


いよいよ
手放しても大丈夫ってこと

 

これまでは
次のものを手に入れてからでないと
手放すなんてできなかった

 

でも大丈夫

 

失っても
大丈夫

 

もっとかろやかに
つぎへ つぎへ

 

大好きだった大切な思いは消えない

 

わたしを通り過ぎてゆく
変わること 変わらないこと

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2022 A NEW YEAR

あけましておめでとうございます

 

ことしは

 

わたしの場

わたしの世界観を

培い根付かせ実験し楽しむ1年に

 

自分自身に重心と軸を置く

どんなことがあっても自分を投げ出さない

あしゆびからくる可能性を堪能する

自分自身の声により純粋に響かせる

面倒な自分をゆるしてゆるしてゆるしていく

 

 

からだのこと

歩き方、靴ひもの締め方、魔女トレであしゆびと対話を続ける

より丁寧に感じて丹田、目まで感覚をつなげる

共鳴体であるからだをより本来の意味で響かせる

リンクレイターヴォイスを使って感覚を深める

感覚に確信をもち、からだから歌を生み出す

日々からだと向き合う時間をきちんととる

 

 

そのための場をつくる

 

遊び場TOACH〜とーち を

1月からはじめます!

 

娘と朝焼け

年末なのに勉強しに自習室へ行く娘と、同じ電車で出勤。

電車の中からで写真は撮れなかったけれど、

荘厳な朝焼け、雲から差し込む黄金のひかり。

ガラガラの車両から2人で眺めていた。

これが見られて良かったね、て口からこぼれるほど綺麗だった。

祝福されているね、って娘に伝えた。

冷淡なわたしとは違って彼女はものすごく親切だ。

ちょっと脱帽する。

親ばか承知で素晴らしい女性だ。

わたしが産んだ子なのだけど、彼女からはとても大きなものをもらい続けている気がする。

こんなふうに感じられることも幸せ。

師走の朝。

こわいのは

立ち向かおうとしているから

できなくてもいいと思えないから

じぶんのちからでやりとげたいと

じぶんのちからで成し遂げたいと

強く 強く 願っているから

涙が出るのは

力を出すため

逃げる気なんて はなからなくて

真正面から 力を尽くして

ただ対峙すると そう決めているから

そう

もう 決めているから

だから できる 

 

ただ あきらかにみて

じぶんを しんじる

 

これからやることは

ただ それだけ

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ほどほどなら、得られるものもほどほど

本番舞台が終わり。

 

結構夢中だったから覚えてないと言えば覚えてない。その時間いがい、冷静ではあったけれど。

集中は切らさずにできたかな。

 

自分は全体を見て、いま不足しているところ、足りない場所を埋めるのが役割だと思っていた。

だからその場所に合わせて自分を伸ばしたり縮めたりしてきた。

そうしないとそこにはいられない、そこにはいらないのかと思っていた。

効率を求める成果主義の世界ではそうかもしれない。

けれど今回の舞台で感じたのは、じぶんのままでもハマる場所があるということ。

必要があれば、そこには必要なものがあらわれる。

これは、今回の舞台でだけじゃない。

表現の場でも、日常でも同じ。

 

今回の挑戦は、たっぷりと出すこと。

小手先でごまかせないくらいの時間と場を与えてもらって、

真剣勝負で恐いまま、やらなければならないことを知った。

いつも自分が、適当に大体でごまかして生きてきたんだと思い知る。

たっぷりと出すのは苦手。、精一杯出して、拒絶されたくないから、ほどほどに当たり障りなく。こんなもんでいいか。わたし、これくらいしかできないから。スンマセン。

 

そんな失礼なことできなかった。じぶん=せかいに対して。

あなたに対して、全部出してみろ!と思っているわたしが、全部出さないなんてあり得ない。

ほどほどを捨てた。そんなバイブレーションはすぐに伝わる。

ほどほどを捨てたら、かえってきたものも、ほどほどを超えていた。