ほどほどなら、得られるものもほどほど
本番舞台が終わり。
結構夢中だったから覚えてないと言えば覚えてない。その時間いがい、冷静ではあったけれど。
集中は切らさずにできたかな。
自分は全体を見て、いま不足しているところ、足りない場所を埋めるのが役割だと思っていた。
だからその場所に合わせて自分を伸ばしたり縮めたりしてきた。
そうしないとそこにはいられない、そこにはいらないのかと思っていた。
効率を求める成果主義の世界ではそうかもしれない。
けれど今回の舞台で感じたのは、じぶんのままでもハマる場所があるということ。
必要があれば、そこには必要なものがあらわれる。
これは、今回の舞台でだけじゃない。
表現の場でも、日常でも同じ。
今回の挑戦は、たっぷりと出すこと。
小手先でごまかせないくらいの時間と場を与えてもらって、
真剣勝負で恐いまま、やらなければならないことを知った。
いつも自分が、適当に大体でごまかして生きてきたんだと思い知る。
たっぷりと出すのは苦手。、精一杯出して、拒絶されたくないから、ほどほどに当たり障りなく。こんなもんでいいか。わたし、これくらいしかできないから。スンマセン。
そんな失礼なことできなかった。じぶん=せかいに対して。
あなたに対して、全部出してみろ!と思っているわたしが、全部出さないなんてあり得ない。
ほどほどを捨てた。そんなバイブレーションはすぐに伝わる。
ほどほどを捨てたら、かえってきたものも、ほどほどを超えていた。