チェイサーに鮮血を

https://lit.link/mamio 身体と心はつながっている♡身体を解放して自分自身を存分に生きる♡旅の途中…歌う、演じる、語る

ほどほどなら、得られるものもほどほど

本番舞台が終わり。

 

結構夢中だったから覚えてないと言えば覚えてない。その時間いがい、冷静ではあったけれど。

集中は切らさずにできたかな。

 

自分は全体を見て、いま不足しているところ、足りない場所を埋めるのが役割だと思っていた。

だからその場所に合わせて自分を伸ばしたり縮めたりしてきた。

そうしないとそこにはいられない、そこにはいらないのかと思っていた。

効率を求める成果主義の世界ではそうかもしれない。

けれど今回の舞台で感じたのは、じぶんのままでもハマる場所があるということ。

必要があれば、そこには必要なものがあらわれる。

これは、今回の舞台でだけじゃない。

表現の場でも、日常でも同じ。

 

今回の挑戦は、たっぷりと出すこと。

小手先でごまかせないくらいの時間と場を与えてもらって、

真剣勝負で恐いまま、やらなければならないことを知った。

いつも自分が、適当に大体でごまかして生きてきたんだと思い知る。

たっぷりと出すのは苦手。、精一杯出して、拒絶されたくないから、ほどほどに当たり障りなく。こんなもんでいいか。わたし、これくらいしかできないから。スンマセン。

 

そんな失礼なことできなかった。じぶん=せかいに対して。

あなたに対して、全部出してみろ!と思っているわたしが、全部出さないなんてあり得ない。

ほどほどを捨てた。そんなバイブレーションはすぐに伝わる。

ほどほどを捨てたら、かえってきたものも、ほどほどを超えていた。